古代日本人の愛した橘

静岡県の伊豆半島の西海岸に、戸田(へだ)という小さな港があります。
港の入口には海を鎮める弟橘媛命(おとたちばなひめ)を祀った諸口神社が船の往来を見守っています。
諸口神社

港の周辺には、ここでしか食べられない名物の「タカアシガニ」のお店がいくつかあり、そこから見える山のうえに自生の橘が現存しています。
ここは日本最北限の橘の自生地で、しかも日本固有の橘であることが、DNA鑑定で立証されています。
日本には宮崎県・高知県・和歌山県などに橘の自生地がありますが、戸田と高知県以外は外国産の柑橘との雑種であることもわかっています。(高知県には固有種と雑種の両方があるそうです)
戸田の橘は純粋に日本人の祖先が愛し、万葉歌にも詠まれた橘のDNAを忠実に受け継いだ橘であると言えます。

この橘から枝をとり、カラタチなどの台木に接ぎ木をして育てたのが「戸田香果橘」です。
戸田香果橘

不老不死の妙薬

「日本書紀」によると、垂仁天皇はタヂマモリに命じて常世の国の非時香果(ときじくのかぐのこのみ)という不老長寿の薬を探させたそうです。そして非時香果はタチバナであるとも記しています。

つまり日本政府の公式文書である「日本書紀」が「橘は不老不死の妙薬である」と言い切っているわけですが、その真偽を論じられることはもちろんありませんでした。

ところが、最近「ノビレチン」という物質に認知症の予防効果があるのではないかという研究が盛んにおこなわれるようになりました。
橘の「ノビレチン」含有量はあらゆる柑橘類のなかでもダントツで、話題になっているシークワーサーの1.5倍にもなります。

垂仁天皇の時代には認知症が死と隣り合わせの病で、かつ橘の認知症予防効果が知られていたとすれば、「不老長寿の薬」という日本書紀の記述は根拠のないものではなかったのかもしれませんね。

不老不死の薬と富士

垂仁天皇の妃であった「迦具夜比売命」は昔話のかぐや姫のモデルと言われていますが、かぐや姫は求婚する貴族に「蓬莱の玉の枝」をさがさせます。そして月に還るときにかぐや姫が置いていった不老長寿の薬を、天皇が富士山で焼かせるというくだりもあります。
また、不老不死の薬草といえば、秦の始皇帝に命じられて日本の蓬莱山に不老長寿の薬草を探しにいった徐福の伝説でも、蓬莱山は富士山ではないかという有力な説があります。
確たる証拠はありませんが、不老不死の薬と富士山(=不死の山)の関係は深いものがありそうです。

戸田諸口神社からのぞむ富士
戸田の諸口神社からは駿河湾越しに美しい富士の全体を眺めることができます。

常世の国へのあこがれ

常世の国は、人間の時間とは隔絶した不老不死の神の世界で、「海の向こうにある」ということ以上はわかりません。
とにかく、橘の自生地は戸田のほか、紀伊半島南岸、四国南岸、宮崎など、太平洋側に集中していて、海の向こうの常世の国から伝わってきたという伝承とも符合します。

戸田の対岸の清水(MACOTの地元)に静岡では唯一常世の国の神々を祀る御穂神社という神社があります。この神社の参道は三保の松原を目印に上陸してくる常世の国の神が通る道で、海から参道に入り社殿に向かうという珍しい形式になっています。

この参道を逆にたどると、延長線は伊豆の突端の石廊崎沖をさしていますから、もしかするとタヂマモリもそういう認識に基づいて石廊崎を回り常世の国を目指したのかもしれません。
実際にタヂマモリが橘を探してたどり着いた「常世の国」がどこだったのかについて、茨城県(常陸国)とする説や、福島県(常世という地名が残っています)とする説もありますが、垂仁天皇の先代の崇神天皇の時代に四道将軍が派遣されて朝廷は会津までは認識していると思うので、やや違和感を感じてしまいます。

ともかく古代の人々にとって、橘は不老不死や常世の国へのあこがれをかきたてる特別な果実だったに違いありません。

当時の橘のDNAを忠実に受け継ぐ戸田香果橘(へだたちばな)で、古代日本人の思いを感じてみてはいかがでしょうか?

「戸田香果橘(へだたちばな)」は戸田森林組合(0558-94-2123)が管理し、取り扱っています。